【第14日】神とその律法は義を求める (2022年10月24日)
- 247unitedprayerjap
- 2022年9月22日
- 読了時間: 6分
更新日:2022年10月20日
神とその律法は、人間の人生のうちに義をお求めになります。しかし、人間の肉の弱さのため、律法を守ることによって義を得るのは不可能です。そこで、イエスは肉となって律法の義の要求を満たし、「肉において罪を罪として処断され」ました。イエスはわたしたちと同様に肉において試練に遭われ、すべての誘惑に勝利されたのです(ヘブライ4:15)。
私たちのうちにイエスがお住まいになるとき、神の律法に対するイエスの完全で正しい従順により、イエスの正しい従順が私たちのものとなり得ます。それゆえに、パウロは「わたしたちの内に、律法の要求が満たされる」 と述べているのです(ローマ8:4)。肉の「弱さ」のために、私たちは律法の正しい要求を満たすことができません。しかし、聖霊のバプテスマによって私たちのうちにイエスがお住まいになるなら、私たちがイエスに「信仰」を置けば、イエスは「私たちのうちに」正しい従順を全うしてくださるのです。このようにして、信仰によってキリストの義が私たちの生活の中に現され、キリストの義が私たちに「授けられる」のです。
いかなる義も信仰から切り離すことはできない
キリストの義を信じる信仰がなければ、どのような義も得ることはできません。ですから、自分の努力で得ようとする義は、実は不義なのです。信仰と切り離された義は存在しないのです。そのため、パウロはこう書いています。
確信に基づいていないことは、すべて罪なのです ローマ 14:23
話し合いのための個人の読み物
この真理について、E・J・ワゴナーはこう書いています。
信仰がなければ、神に認められる行いをすることはできない。 信仰がなければ、人がなし得る最善の行いも、唯一の基準である 神の完全な義には限りなく及ばない。 真の信仰が見られるのはどのような場合であっても良いことである。 しかし、過去の罪の重荷を取り除くほどの最高の信仰があったとしても、 恩恵期間終了の時まで、ますます深められ貫かれるのでなければ、 その信仰はその人に何の利益ももたらさないであろう。 信仰に関する教訓 2
ワゴナーはこう続けました。
正しいことをするのがいかに難しいかについて、多くの人が話すのを 聞いたことがある。彼らのクリスチャン生活は失敗ばかりで満足できず、 落胆し、あきらめたくなってしまうのだ。 彼らが落胆するのも無理はない。 失敗が続けば、誰でも落胆するであろう。世界で最も勇敢な兵士でさえ、 すべての戦いで敗れたとしたら、気弱になってしまうであろう。 彼らは時折、自分に対する自信を失ってしまったと嘆いている。 かわいそうに、もし自分自身に対する自信を完全に失い、大いなる救いを もたらす方に全幅の信頼を置いたならば、彼らの話は全く違ったものに なるであろう。そうすれば、彼らは「主イエス・キリストによって、神を 喜ぶ」ようになるであろう。使徒は言った、「主において常に喜びなさい。 重ねて言います。喜びなさい」ピリピ4:4。神を喜ばない人は、たとえ 誘惑に遭い、苦しんだとしても、信仰の戦いを立派に戦い抜いているとは 言えない。彼らは、自己過信と敗北という哀れな戦いをしているのである。 同上、2-3
勝利のクリスチャン生活を送るための「唯一の」方法は、信仰をもってキリストを見つめることです(ヘブル12:1-2)。私たちが正しい者となるための「唯一の」方法は、キリストの義を信じる信仰です。私たちの従順が聖なるものとなるための「唯一の」方法は、聖霊を通してキリストが私たちのうちに聖なる正しい人生を生きてくださるという信仰によるのです。イエスは「唯一の」「道であり、真理であり、命」です (ヨハネ14:6)。私たちは誘惑に遭うとき、すぐにキリストに立ち返り、その誘惑に対するキリストの勝利を現していただくことができます。そうすれば、キリストの正しい従順が私たちの生活の中に現れてきます。私たちは主との歩みの中で、信仰による義を経験することになるのです。パウロが次のように書いているのは、そのためです。
わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。 17福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。 ローマ 1:16-17
キリストの真の福音は、「力」の福音です。私たちのうちに生きている、このキリストの力は、私たちが「信じる」こと、つまりキリストへの信仰によって「救い」を与えてくれます。それによって、義と認められたクリスチャンはキリストへの「信仰」のみにより、義によって生きているのです。
E.J. ワゴナーはこのことについてこう書いています。
福音は罪に対する神の救済策である。したがってその働きは、人を律法と 調和させること、すなわち人の生活のうちに正しい律法の働きを現れさせることでなければならない。しかしこれは、全面的に信仰の働きである。 神の義は、初めから終わりまで信仰を通して実現される。すなわち初めに 信仰があり、最後まで信仰がある。「正しい者は信仰によって生きる」と 書いてあるとおりである。 信仰に関する教訓 1
14日目 祈りの焦点
聖霊のバプテスマ
あなた自身と教会のためのリバイバル
神様が教会とあなたを導いてくださり、キリストの正しい従順を理解し、経験することができますように。
あなたの祈りのリストにある人たち
第14日目 ディスカッションの質問
1. 神様とその律法は、人の人生に何を要求していますか。
2. どのようにしたら、キリストの義が私たちの人生に現れるのでしょうか?
3. 不義とは何でしょうか。
4. ローマ14:23は、信仰によらないものとは、何だと言っていますか。
5. 唯一の基準はどちらですか。
6. 勝利のクリスチャン生活を送るための唯一の方法は何ですか。
7. 私たちが義になる唯一の方法は何ですか。
8. 私たちの従順が聖なるものとなる唯一の方法は何でしょうか。
9. 誘惑されたとき、私たちはすぐに誰に頼ればよいでしょうか。
10. ローマ人への手紙1:16-17を要約してください。
11. キリストの真の福音とは何でしょうか。
12. 罪に対する神様の解決策は何ですか?
第14日目 心の準備と挑戦
今日一日を通して、神様が今日の朗読やもっと深い議論の中であなたに語っておられることを思い出し、それをあなたの人生に適用できるように助けてくださいとお願いしましょう。
15日目の準備として、デニス・スミス著「信仰による義」54-55ページ(PDFファイルの74-75ページ)を読みます。
15日目のディスカッションの質問に祈りながら答え、15日目のユナイテッドプレイヤーの「話し合いのための質問」で分かち合う準備をしてください。
コメント