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【第23日】ジョーンズとワゴナーによる勝利の「方法」について (2022年11月02日)

  • 247unitedprayerjap
  • 2022年9月12日
  • 読了時間: 8分

更新日:2022年10月31日

ジョーンズとワゴナーは、誘惑と罪に対する勝利というこの概念を提示しました。これについて、E・J・ワゴナーはこう書いています。

クリスチャンにはなんと素晴らしい可能性があることだろう! どれほどの神聖さの高みにまで到達することができるのだろう! サタンがいかにクリスチャンに戦いを挑み、肉の最も弱いところを 攻撃してこようとも、クリスチャンは全能者の陰の下にとどまり、 神の満ちあふれる力に満たされるであろう。 サタンよりも強いお方が、絶えずその心に住まわれるのである。 キリストとその義 30-31

さらにワゴナーは、キリストによって得られる勝利について説明しています。


私たちは生まれながらに罪とサタンの僕である。しかしキリストに従うや否や、サタンの力から解放されるのである。そして罪の束縛から解放されるや否や、キリストの僕となるのである。実際に、私たちの信仰に応えて罪の力から私たちを解放してくださるという行為そのものが、神が私たちをご自分の僕として受け入れてくださることの証明なのである。確かに私たちはキリストの僕となる。しかし、私たちは自由を得るために召し出されたのであり(ガラテヤ5:13)、主の霊のおられるところに自由があるのであるから(2コリント3:17)、主の僕は、自由な身分の者なのである。
そして今、再び葛藤が訪れる。サタンは、そうたやすく自分の奴隷を手放しはしない。激しい誘惑の鞭で身を固め、私たちを再び自分に仕えさせるためにやってくる。私たちは、悲しい経験をとおして、サタンが自分よりも強力であること、そして、助けなくして彼に抵抗することはできないことを知っている。彼の力を恐れ、助けを求めて叫ぶ。そのとき、私たちはもはやサタンの僕ではないことを思い起こすのである。私たちは神に自分をお委ねしたのであり、神は私たちをご自分の僕として受け入れてくださる。だから私たちは詩篇の作者とともに、「どうか主よ、わたしの縄目を解いてください。わたしはあなたの僕。わたしはあなたの僕、母もあなたに仕える者。」と言うことができる。(詩篇116:16)。しかし、サタンが私たちに課していた束縛を神が解き放ってくださったという事実は、神がそうしてくださったと私たちが信じるなら、神が私たちを守ってくださることの証拠なのである。それは、神がご自分の民を心にかけてくださるからであり、私たちのうちに善い業を始められた方が、「キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださる」という保証が私たちに与えられているのである(フィリピ人への手紙1:6)。そしてこの確信のもと、私たちは抵抗する力を持つのである。
繰り返すが、もし私たちが神の僕となるために自らをゆだねたなら、私たちは神の僕なのであり、言い換えれば、神の御手のうちにある義の道具なのである。…私たちの意志は、神が私たちのうちに善い業をお働きになっていただくかどうかを選択することにある。
神の御手の中の道具であるというこの考えは、ひとたび十分に理解してしまえば、信仰の勝利のための素晴らしい助けとなる。というのも、道具が何を行うかは、その道具を手にした人に完全に依存するからである。 同上105-106

ワゴナーが、勝利のためにキリストにお委ねすることについて絶えず強調していることに注目してください。この真理は単純ですが、とらえどころがありません。ワゴナーはこのことを強調して、この真理は「ひとたび十分に理解してしまえば、信仰の勝利のための素晴らしい助けとなる。」と書いています。問題は、私たちがそれを「十分に理解」していないことです。イエスにお会いする備えができる人は、イエスがその人の中で完全にご自分の命を生きられるようになるほど、この真理を十分に理解し、経験しているのです。

そして、誘惑や罪に打ち勝つためのステップを、ワゴナーは次のようにまとめました。


そして、打ち勝つ秘訣は、まず神の御心を行いたいと心から願い、神に全面的に従うことにある。次に、従うことで、主が私たちを僕として受け入れてくださることを知ることである。そして、神への服従を保ち、神の手に身をゆだねることである。勝利を得るためには、しばしば「どうか主よ、わたしの縄目を解いてください。わたしはあなたの僕。わたしはあなたの僕、母もあなたに仕える者。」と何度も何度も繰り返さなければならない。これは単に、「主よ、私は義の道具としてあなたの手に身をゆだねました、肉の命令ではなく、あなたの御心がなされますように」を強調して言っているのである。しかし、この聖句の力を理解し、自分が神の僕であることを実感できたとき、すぐに次のような考えが浮かぶであろう。「もし私が本当に神の御手のうちの道具であるならば、神の御手のうちにいる限り、神は私を用いて悪を行うことはおできにならないし、私が悪を行うのを許されることはない。もし私が悪から守られるとすれば、自分自身ではできないのだから、神が私を守ってくださらなければならない。主は私を悪から守りたいと思っておられる。なぜなら、主は、私のためにご自身を与えられたことで、ご自分の願いと、その願いを実現する力をも示しておられるからである。それゆえ、私はこの悪から守られるのだ。」このような思いが即座に心の中を通り過ぎるであろう。そして、それとともに、恐ろしい悪から守られるという喜びの感情が必ず湧き上がるはずである。その喜びは自然に神への感謝として表れ、神に感謝している間に敵は誘惑とともに退散し、神の平安が心を満たすのである。そして、信じることの喜びが、罪に溺れることによって得られるすべての喜びをはるかに凌駕することがわかるのである。 同上

ここでもワゴナーは、勝利のために自分の力に頼るのではなく、神に100%頼ることを強調しています。重要なのは、神の御手のうちに自分を委ね、勝利のために神に頼ることです。私たちは神の御手のうちにある道具に過ぎないのです。

A. T. ジョーンズとE. J. ワゴナーは、信徒がキリストのうちに得ることのできる勝利について、意見が一致していました。1896年9月1日付のレビュー・アンド・ヘラルド紙で、A.T.ジョーンズはこう書いています。


恵みの支配の下で正しいことを行うことは、罪の支配の下で悪いことを行うのと同じくらい簡単なことであるというのは、いくら強調してもし過ぎることはない。それはそのはずである。なぜなら、もし恵みに罪以上の力がないとすれば、罪からの救いはありえないからだ。しかし、恵みは単に罪より強力だというだけではない。これは良いことであるが、それがすべてではない。恵みのうちには、罪のうちにあるよりもはるかに大きな力がある。なぜなら、「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれ」たからである。私たちを新しく創造してくださる、臨在する生きた神の力以外のものをもって神に仕えようとしてはならない。また、主イエス・キリストによって肉の罪を処断し、義によって永遠の命にいたるまで支配する、はるかに豊かな恵み以外のものによって神に仕えようとしてはならない。そうすれば、神への奉仕は本当に「新しい命」に満ちたものとなり、神の軛は「負いやすく」、その荷は「軽い」ことが分かり、その奉仕は本当に「言葉にできない喜びと栄光に満ちた」ものであることがわかるのである。

ジョーンズの発言のポイントに注目してください。


  • 私たちの中を恵みが支配しているとき、神に従うことは容易です。これは本書のテーマでもあります。キリストが私たちのうちにご自分の命を生きてくださる方法を私たちが理解するとき、誘惑との闘いはなくなります。それはなぜでしょうか。誘惑と格闘するのではなく、キリストが勝利を与えてくださることによって、私たちは勝利を得ることができるからです。


  • ジョーンズは私たちをこう戒めました。「誰も、臨在する生きた神の力以外のものをもって神に仕えようとしてはならない。」私たちは、毎日聖霊のバプテスマを受けることによって、「臨在する生きた神の力」を受けているのです。ですから、聖霊の満たしを理解し、経験することが不可欠です。これなくして、勝利の力も奉仕の力もありません。


  • 私たちの主イエス・キリストによって、私たちの中を義が支配します。イエスは聖霊のバプテスマによって私たちのうちに生きておられます。私たちの中でキリストにご自分の命を生きていただくことを学ぶにつれ、キリストの義が私たちのものとして「認められる」だけでなく、私たちに「授けられる」ようになります。そうすれば、私たちは「死ぬべき体を罪に支配させ」ることも、「体の欲望に従う」こともなくなるのです(ローマ人への手紙6:12)。



第23日 祈りの焦点


•聖霊のバプテスマ

•あなた自身と教会のためのリバイバル

•神様が、あなたの人生におけるキリストの正しい 従順への信仰を通して、誘惑に対する完全な勝利を理解し、経験するように教会を導いてくださいますように。

•あなたの祈りのリストにある人



第23日目 話し合いのための質問:


1. 誘惑や罪に打ち勝つためのワゴナーのステップを説明してください。


2. 真か偽か。ジョーンズによると、恵みが私たちのうちに支配するとき、従うのは簡単です。


3. 「イエス・キリストの義が私たちに与えられる」とは、どういう意味ですか。


4. ジョーンズ&ワゴナーが提示したように、キリストとその義は私たちの罪に対する勝利です。内住のキリストはどのように私たちのすべての罪に対する勝利ですか?


5. ジョーンズとワゴナーによると、私たちは皆、ある主人か別の主人のしもべです。キリストの、あるいは悪魔の、罪に服従する行為は何を意味するのでしょうか。(96ページ)


6. 捕虜や罪の奴隷になった人々は、どのようにしてこの世の主人の力から解き放たれるのでしょうか。(ガラ5:13、2コリ3:17参照)(96ページ)


7. 私たちは、自分がキリストに属しているのか、それとも悪魔に属しているのか、判断することができますか。私たちがキリストのものであるという保証は何ですか。(詩篇116:16参照)(96ページ)


8. 「神の手の中にある道具」であることが、どのように私たちの勝利を保証してくれますか。(フィリピ1章参照) (97ページ)



23日目 心の準備と挑戦

  1. 一日を通して、神様が今日の読み物や話し合いの中であなたに語っておられることを思い出し、それをあなたの人生に適用できるよう神様に願い求めてください。

  2. 明日の準備として、第24日目を読みましょう。

  3. 明日の話し合いの質問に祈りながら答え、ユナイテッドプレイヤーの後の話し合いで共有する準備をしてください。



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