【第29日】信仰による義と、第三の天使のメッセージ(2022年11月08日)
- 247unitedprayerjap
- 2022年9月7日
- 読了時間: 5分
1888年の総会でジョーンズとワゴナーによって信仰による義のメッセージが発表されたとき、多くの指導者たちは、そのメッセージを受け入れたり強調したりすれば、神が私たちの教団に与えられた使命の遂行と、第三の天使のメッセージの宣教から遠ざかることになってしまうと考えました。セブンスデー・アドベンチスト教会は、最後の警告のメッセージを世界に伝えるために、主によって立てられました。私たちは、第四条である七日目の安息日を含む神の十戒を高めるために召されました。この使命は、人々を神の戒めから遠ざけ、偽りの礼拝の日を受け入れさせようとするサタンの計画を世界に警告することでした(ヨハネの黙示録13章)。
メッセージへの反応
教団の指導者たちは、この使命を非常に真剣に受け止めました。その多くは長年この働きに携わっており、この使命が何を意味するかをよく知っていると思っていました。ジョーンズとワゴナーが信仰による義についてのメッセージを発表したとき、教団の指導者たちは、この教えが主から与えられた使命のどこに収まるのか理解できませんでした。そして、この教えは危険なものであるとさえ考えました。
教団の著名な指導者であり、世界総会の総理でもあったアーサー・G・ダニエルズは、1924年の牧会組織諮問委員会から、「信仰による義というテーマに関するE・G・ホワイト夫人の記述の編集を手配する」ように依頼されました。(私たちの義なるキリスト 5頁)ダニエルズの働きの成果は、「私たちの義なるキリスト」という著作となりました。その中でダニエルズは、ジョーンズとワゴナーが信仰による義のメッセージを提示したときに起こったと思われる出来事について書いています。彼は、当時の反応を3つに分類しました。
第1のグループ―このメッセージに大きな光を見出し、喜んで受け入れた人々。このメッセージは福音の最も本質的な側面であると信じ、失われた人々を救うためのあらゆる努力において極めて重要視されるべきことであると感じた人々である。このグループにとって、このメッセージは、罪との戦いに勝利する人生を送るための真の秘訣であり、神の子を信じる信仰によって義とされるという大いなる真理は、残りの教会にとって、ご再臨の際に天に移される備えをする上で、最も緊急な必要であると思われた。 第2のグループ―このメッセージを「新しい教え」と呼び、不安を感じる人もいた。彼らはそれを理解できず、結論に至ることができなかった。その結果、彼らの心は困惑と混乱に陥った。その時、彼らはそのメッセージを受け入れもせず、拒否もしなかった。 第3のグループ―このメッセージの提示に断固として反対する人たちもいた。彼らは、信仰による義という真理は、我々が当初から認めていたものであり、それは理論的に正しいことだと主張した。このため、このメッセージの提唱者たちのように、このテーマに大きな重点を置き、強調する必要はないと考えたのである。さらに、彼らは、この信仰による義というテーマに重点を置くことが、私たちの教団の歴史の最初から重要視されてきた教義に影を落とすことを恐れた。そして、彼らは、これらの特徴ある教義を説くことが彼らの運動の力と成長の秘訣であると考えていたので、いかなる教えやメッセージであろうと、もしこれらの教義に影を落とすようなことがあったなら、我々の大義はその特徴ある性質と力を失ってしまうだろうと恐れていたのである。このような恐れから、彼らは断固として反対することによって、大義と人々の双方を守る義務があると感じていた。 私たちの義なるキリスト、41-42
第29日目 祈りの焦点
聖霊のバプテスマ
あなた自身と教会のためのリバイバル
神の導きによって、御霊の後の雨を伴う「大いなる叫び」として与えられる神の終末の日のメッセージに備えて、あなたと教会が信仰による義を理解し経験できるように
あなたの祈りのリストにある人
第29日 話し合いのための質問
信仰による義と、第三の天使のメッセージ
1888年の総会で信仰による義のメッセージを聞いた人の中には、なぜ恐れを抱いた人がいたのでしょうか。
もし教会がこのメッセージを受け入れていたらどうなったと思いますか。
なぜ、一見律法と関係のないこのメッセージに恐れの気持ちが浮かぶのでしょうか。
律法はどうして信仰による義の一部といえるのでしょうか。
あなたはこのメッセージを手放して、ある一部の宗派の教えのように律法を守らなくなることを恐れますか?キリストの人格を表したときそうならないのはなぜでしょうか
精霊が宿り、キリストの人格を表すために具体的にどんなことができるでしょうか
メッセージへの反応
信仰による義のメッセージを聞いた人々の3つの異なる反応について説明してください。
あなたはどのグループに入ると思いますか。
2つ目のグループは受け入れも否定もしませんでした。このどっちつかずな態度について聖書からある部分を思い浮かべることができますか。
第1の喜んで受け入れた人々が他の2つのグループと違ったのはどこでしょうか (ルカ8章4〜15の「種を蒔く人」のたとえを参考にしてみてください
第3の反対したグループには沢山の理由がありました。なぜこれらの並べられた主張が正当化された理由のようにみえるのでしょうか。
これらの主張の中であなたにとって最も正当性があるのはどれですか。
それぞれの理由に対する反論をつくったとして結局、メッセージを拒否した人たちは、議論を通じてメッセージを受け入れたと思いますか?宗教において人々の考えを変えるのに、なぜこれが効果的ではないのでしょうか?
第29日 心の準備と挑戦
今日一日を通して、神様が今日の読み物や話し合いの中であなたに語っておられることを思い出し、それをあなたの人生に適用できるよう助けてください。
Comments