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【第6日】ペンテコステ後に聖霊のバプテスマを受ける (2022年10月16日)

  • 247unitedprayerjap
  • 2022年10月1日
  • 読了時間: 6分

ペンテコステには、すべての信徒が参加したわけではありません。実質的な問いは、「ペンテコステの後、信徒はどのようにして聖霊のバプテスマを受けたのでしょうか。」というものかもしれません。その答えは、使徒言行録に書かれています。ペテロが話している間、聴衆の上に御霊がくだったことが何度かありました(使徒10:44-46; 11:15-17)。また神は、按手による、より秩序正しい方法で御霊のバプテスマを受けるように、教会を導かれたようです(使徒8:12-17、19:1-6)。


使徒言行録8章で、サマリアの人々が聖霊に導かれてキリストを受け入れ、バプテスマを受けたことに注目してください。それにもかかわらず、彼らは聖霊のバプテスマを受けていませんでした。ペテロとヨハネは、御霊のバプテスマによって油が注がれるよう、彼らの上に手を置いて祈りをささげるという、特別な目的を携えてエルサレムから彼らのところに行きました。これは、水のバプテスマと御霊のバプテスマが別々の経験であることを明確に示しています。聖霊は、キリストを受け入れ、水のバプテスマを受けるよう人を導かれます。聖霊のバプテスマは、人がその必要性を認識したときに、また別に求めなければならない異なる働きなのです。使徒言行録によると、パウロも按手と祈りによって御霊のバプテスマを受けました(使徒9:17)。パウロの場合は、水のバプテスマの前に聖霊のバプテスマを受けたのです。按手の祈りをささげるのは、すでに聖霊のバプテスマを受けている信徒であるべきです。


クリスチャンから聖霊のバプテスマを受けるための祈りを求められた時には、その求める者に手を置いて、神の約束を求める簡素な祈りをささげるべきです。

聖霊のバプテスマを受けたいと願う信徒は、必ずしも誰かに手を置いてもらう、または祈ってもらう必要はありません。私が初めてこの教えを教会で伝えたとき、ある信徒がその晩、御霊のバプテスマを受けようと決心しました。彼女は、神に御霊で満たしていただけるよう真剣に祈りました。そのとき、今まで経験したことのないような大きな平安が訪れた、と後に彼女は私に教えてくれました。


神は、御霊のバプテスマを受ける方法をただ一つに限定しておられませんが、手を置いて祈るというこの特別な儀式は、御霊の満たしを求めるための素晴らしい方法であると私は信じています。この神聖な経験を仲間の信徒と分かち合うことはいつであっても特別な祝福です。




話し合いのための個人の読み物:

神はすべてのクリスチャンに聖霊のバプテスマを受けるよう求めておられる


エレン・ホワイトは何年も前にこう述べています。

私たちに必要なのは聖霊のバプテスマである。 これなくしては、主が十字架につけられた後の弟子たちと同じくらい、 世に出ていくにふさわしくないのである。 レビュー・アンド・ヘラルド 1890年2月18日号
聖霊のバプテスマと教会の聖化の必要性を、すべての人の心に刻みなさい。 そうすれば、彼らは生きて成長し実を結ぶ、 主が植えられた木となるであろう。 教会への証 第6巻 P86

聖霊のバプテスマに関するエレン・ホワイトの記述を読むと、彼女がその重要性を認識し、すべての信徒に聖霊の内住を求めるよう熱心に勧めていたことがわかります。神の民の生活のうちに、またこの地上において、神の御業を完成させるために、聖霊のバプテスマが不可欠であることは、彼女にとって明白でした。これらの記述は、クリスチャンが改心する、または水のバプテスマを受けることで自動的に聖霊のバプテスマを受けるのではないことも示しています。もしそうであれば、エレン・ホワイトはクリスチャンにこの経験が必要であるとは言わなかったことでしょう。


1928年の春、神は再び、このきわめて重要な経験に私たちの教団の注意を向けさせようとなさいました。リロイ・フルーム長老は、教区大会の集まりと共に開かれた、4年に1度の牧師研究会で、代表者と従事者にこのテーマを発表するように導かれました。そしてそれをもとに「慰め主の到来」という本が生まれました。

私たちが聖霊のバプテスマの理解と享受を怠っていることについて、リロイ・フルームは次のように述べています。

これは途方もない大失態であると確信している。正直に言うと、 私もそうであった。私たちは、満たされるまでは「行く」べきではない。 ...すべての真の奉仕は、私たち個人的なペンテコステから始まるのである。 慰め主の到来 P94

フルームはこう続けています。

聖霊によって罪が明らかにされ、魂に新しい命が吹き込まれるという 最初の段階を超える経験がある。それが聖霊に満たされることである。 これなくしては、クリスチャンの証しは弱いものとなり、 霊的な生命は不完全なものに過ぎなくなる。 残念なことに、今日の多くの人々は悔い改めのバプテスマまでは 経験していても、それ以上の経験をしていない。 同上142-143

フルームは聖書を研究し、「悔い改めのバプテスマ」、つまり水のバプテスマだけでは不十分であるという考えに至りました。そして、キリストの来臨までの苦難の時を生き抜いていくためには、聖霊の満たしが必要であると結論づけました。

エペソ人への手紙5章において勧告され、実に神から命じられているにも 関わらず、その関係を結ぶ人もいれば、結ばない人もいる。 大祭司の執り成しがなくなり、憐みと罪の赦しが受けられなくなるときまでとどまり続けるためには、この関係を結んでいなければならないのである。 同上、170

6日目の祈りの焦点

  • 聖霊のバプテスマ

  • あなた自身と教会のためのリバイバル

  • 神様が教会とあなたを導いてくださり、日々

  • 聖霊に満たされたミニストリーを経験できるように。

  • あなたの祈りのリストにある人たち


第6日目 ディスカッションの質問:


1. なぜ私たちは聖霊のバプテスマが必要なのですか?


2. リロイ・フルーム長老は1928年に聖霊のバプテスマという主題を誰に提示しましたか。


3. 聖霊はあなたにどのように罪を明らかにされましたか?


4. クリスチャンはどのようにして困難な時に勝利することができますか?


5. イエス様との関係を築くために、あなたはどのようなステップを踏みますか?


6. 水のバプテスマと聖霊のバプテスマは別の体験ですか?


7. 聖霊のバプテスマを受けるには、必ず按手が必要ですか?


8. エレン・ホワイトは、聖霊のバプテスマがどれほど重要であると述べていますか?


9. ルロイ・フルームは1928年に、私たちが教団として聖霊のバプテスマを理解し体験することを怠っていることについて、どのようなことを言いましたか?


10. フルームによると、なぜ聖霊のバプテスマが終わりの時代のクリスチャンに必要なのですか?



第6日 心の準備と挑戦

  1. 一日を通して、神様が今日の読み物や話し合いの中であなたに語っておられることを思い出し、それをあなたの人生に適用できるよう神様に願い求めてください。

  2. 明日の準備として、第7日目を読みましょう。

  3. 明日の話し合いの質問に祈りながら答え、ユナイテッドプレイヤーの後の話し合いで共有する準備をしてください。

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